ポッカリあいた心の穴を少しづつ埋めてゆくんだ

先日用事で東横線に乗っていた際のこと。近くに某義塾大学の女の子の集団がいて、友達の彼氏がどうのこうのといった他愛ない内容の会話をしているのが耳に入って、その中にちょっと面白い表現が。
「あたし、心の穴を埋めてほしいんだよねー。誰か埋めてくれないかなー」
おいおい「心の穴」ってのはそんなにカジュアルに使える言葉だったか、と思いながら聞いていたら、日吉で降りる際に同じ女の子が続けた言葉で何となくその謎がわかった気が。
「ねえ、疲れたー。(同行者に対して)慰めてー」
要は、この女の子の言葉にはレトリックが全くなくて、行為と言葉が一致しすぎで面白いんじゃないかと。30歳がもう地平線のあたりに見えてきた編集人の世代にとっては、「心の穴」っていうのは客観的に分析するときに使うメタファーであって、自分の心境を主観的に表現するための言葉ではないような固定観念があるのだけれど、かの女の子は「心の穴」を多分直感的に極めて正しい、「熱が37度5分ある」って言うのとさほど変わらないフィジカルな表現として使っているんですね。そうであればこそ「疲れ=慰めてもらえば治る」が成立するわけで。1997年にフィッシュマンズが「少しづつ埋めてゆくんだ」と歌っていた心の穴は、2006年にはそれほど曖昧ではないのだ。


宇宙 日本 世田谷

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