足もとに流れる深い川 ― 都議選雑感

2013年東京都議選の簡単なデータ分析: 311後の日本の政治論壇

09年に大勝し比較第一党だった民主党の惨敗と対照的に、自民・公明の全員当選、共産の伸長という結果に終わった都議選。結果の基本的な分析としては上の菅原琢さんの記事がよくまとまっていて、「自・公・共の得票が伸びたわけではなく、民主・みんな・維新票の分散による組織票の価値が上昇した」ということでしょう。で、その菅原さんの記事を受けたブコメをはじめ、「票読みができず共倒れした民主党はバカ」的な論評が目につくんですけど、中選挙区制の選挙で共倒れを防ぐのってすごく難しいんですよ。勝った後の選挙だと特に(次の選挙で自民党も苦労することになると思います)。

日本の議員は基本的に「自営業者」である

国会議員に関しては選挙制度小選挙区制であり、公認を出す出さないで各党本部の統率がある程度効きますが、地方議員の選挙は「出たい人が出る」のが基本です(公明・共産など若干の例外を除く)。中選挙区制だと同じ党の候補と選挙区で競合したところで票さえあればどちらも当選できるわけですから、「いずれかを降ろす根拠」を主張しにくいんですね。仮に票読みがある程度できたところで、共倒れの恐れがある現職議員をどちらか下ろすなんてことは至難の業です。彼らは党に仕える「サラリーマン」ではなく、ほぼ自分の財布で政治活動を行い独自の後援会を抱えた、一個の「自営業者」に近い存在なのですから。

選挙に出るためのハードルが高く、引くに引けない状況に追い込まれがち

供託金を含めて高い水準の選挙資金、区議→都議のように別のカテゴリの選挙に出る際は元の議席を手放して辞職してからでないと出馬できない兼職禁止規定、そもそも雇用の流動性が少ない労働市場のせいで落選したら即失業者…などなど、選挙に出て政治活動を続けていく上でつきまとう心配のタネは枚挙にいとまがありません。各議員はそこのところを親族や後援者との間で様々な意味での貸し借りを行うことで凌いでいるわけですから、他の候補や党の都合に耳を傾けて自分が候補から降りようなんて発想は出る余地がないんですよね。その「貸し借り」をこじらせてどう見ても怪しいスジから献金を受け取ったり、さらに悪化してシンプルに破産したり、って例は国会議員ですら珍しくないわけですし。

「一線を越えちゃった人」しか議員にならない、という悲しみ

選挙というものは文字通り「選良」を選ぶためにやってる制度ですから、もちろんその候補者に一定のハードルを設けることは必要だと思うんですが、現在の状況はむしろ「越える方が不思議」なグランドナショナル並の障碍にしか見えず、しかも実際それを「越えちゃった人」ばかりが政治をやってるというヤバい状況。ブログ炎上から自殺という痛ましい結果となった岩手県議の一件は、このヤバさを物語る最も雄弁な例じゃないかと思いますが、これほど「危ない橋を渡ってる人たち」が担う政治が果たして国民の幸福に資するものなのか否か。
都議選みたいな中選挙区制というのは、本来であればこのハードルを若干下げる方に働くはずのシステムなんですが、どうもその機能も怪しくなってきてるよね、という話はまた今度。
 

Carver's dozen―レイモンド・カーヴァー傑作選 (中公文庫)

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類似マンション

世の不動産屋は根本的に何か間違っている、あるいは市場の社会からの脱埋め込みについて | Brumaire

不動産クラスタの人間として思うことですが、賃貸のアパートやマンションに関して、数字のスペックよりも魅力的な、物件と都市が結びついた物語が成立する、という前提自体に無理があるんではないかと(一戸建ての貸家については例外もありますが)。
何故かと言うと、大家が賃貸物件を建てる理由は「更地で土地持ってると固定資産税が高いから収益物件造るわ」とか「相続税逃れで負債増やしとく必要があるからとりあえずアパート」というネガティブな理由が大半であって、間違っても「生まれ育ったこの美しい街にもっと仲間を迎え入れたい」などというポジティブな理由ではないということです*1。大家にとって賃貸物件とは「建築費x億に対し想定利回りxx%です」というカタログスペックで語られる紛れも無い「商品」であり、そこに落語の「寝床」的なストーリーの入り込む余地はほとんどありません。そして、不動産屋はあくまでその「商品」に最適化した行動としてスペック推しをしているだけです。

わたしが声を大にして言いたいのは、「家は商品ではない」ということである。それは確かに我々が生きている社会ではほかの商品と同じように金銭によって取引されるものと成り果てた。しかし立ち戻って考えてみれば、人間にとって住居が商品であろうはずがない。それは第一に共同体を支える場であって、取り替えの聞く商品ではなく、愛によって守られた交換不可能な郷土なのである。住環境は社会に埋め込まれて初めてそれとして機能するが、現在の制度は住居を住居として機能せしめないために作られているかのようだ。

戦後のマイホーム中心思想は「商品」としての戸建て住宅に消費者を魅了する物語を付加し、急造のベッドタウンにも愛あふれる「共同体」「交換不可能な郷土」を建設することに一定の成功を収めたわけですが、賃貸物件はそもそもそんな都市幻想からも断絶した存在です。
賃貸物件の多くは「農村由来のしがらみが多い共同体から離れたい地主層が建てた、いくらでも取り替えのきく商品であり、愛着も湧かないし、大家が郷土を離れるためのツールですらある」のです。特に駅に近い物件のオーナー層に見られる傾向ですが、彼らは賃貸物件から安定した収入を得ることで、商店街的でウェットな「地元の付き合い」から脱出し、往々にして気の合う仲間だけの狭いサークルに閉じこもります。そして金の使い道と言えば地元とは関係ない郊外でのゴルフ三昧であったり、都心とか海外のセカンドハウス購入だったりするわけです。そういう物語って、借りる側にとって魅力的ですかね?

だから世の不動産サイトは価格や平米数に基づいたデータベースなどとっととゴミ箱に放り込み、自らの扱っているそれぞれの物件について、オーナーのインタビューを載せ、その町に住む山田氏がその建物をどう思っているかを載せ、そしてもしいるならば、過去に住んだ人間がどのようにそこで息をして暮らしていたかを載せるべきなのだ。数字など備考欄に書いておけばよい。市場の社会への再埋め込みを図るのならば、まずはそこからだ。

借りる側から見たところで、多くの賃貸物件は取り替え不可能な存在でなどありえません。画一化されたデザイン・建築技術・備品で構成された無数の物件が、個性の特にない無数の駅前にあるのですから*2。先に住んでいた住人の物語もセクシーなコンテンツとは限りません。若者の多くは、例えば不動産屋のようなブラック企業における労働から深夜に帰宅し、部屋を睡眠以外の用途に用いることは滅多にないのですから。

日本の空家問題について - Togetter

戦後の下町に暮らした貧しい人々はそのコミュニティにおける心温まる物語(「三丁目の夕日」的な、ね)を残しましたが、懐が豊かになれば他の街へ去って行き、過去の物語とシャッター通りだけが残った界隈も少なくありません。
やがて来る未来、無数の空き家がどこへも行けない人々の受け皿としてスラムを形成し、我々が戦後の焼け跡より貧しい生活を送るのであれば、住居は「商品」ではなく、我々に親しい「愛によって守られた交換不可能な郷土」としての地位を取り戻すことでしょう。ただその時には、我々は不動産サイトで引越し先を探すこともないでしょうし、そもそも私のような不動産クラスタの人間は皆、業界またはこの世とおさらばしている可能性が高いですが。
 

ルイージマンション

ルイージマンション

*1:URやそのご先祖が造った「団地」にある種の美が感じられるのは、「何もないとこだけど政策として地方出身者にも借りやすい住宅造っとこう」という最低限ポジティブな理由があるせいだと思うんですけどどうですか大山総裁

*2:ついでに言ってしまえば、賃貸物件の大家になるような地主層は、区画整理等の開発を通して旧来の土地にまつわる「物語」を地名や狭い路地ごと葬り去ることにも加担している。

Triple Wow

A Sister’s Eulogy for Steve Jobs
妹からスティーブ・ジョブスへの弔辞

Death didn’t happen to Steve, he achieved it.

の一節を読んで、モナ・シンプソン女史はエミリー・ディキンソンの"Because I could not stop for Death"を踏まえたのかな、と何となく思った。

Because I could not stop for Death-
He kindly stopped for me-
私は死のために立ち止まれなかったので
親切なことに死が私のために足を止めてくれた

妹の視点から見た病との戦いという点では、ジョブズと「死」の関わりは能動的でありひとつの達成(achievement)として受け止められるのだろうが、ジョブズという強烈な闘志を誇っていた人物の最後の言葉が―ディキンソンの詩の響きと同様に、わりと受け身にも聞こえる―"OH WOW. OH WOW. OH WOW."という、何らかのヴィジョンに対する感嘆であったことは興味深い。そういう意味では確かに、死は「多くの物語」の中にあるのだ。

Life — is what we make of it —
Death — we do not know —
        - Emily Dickinson
 
生 ― 我々が思い描くもの
死 ― 我々が知らないもの

栗コーダーカルテット@稲城市立iプラザ

  • 栗原「世界中を旅する川口くんだからこそこういう珍しい楽器を買える…」川口「それは代々木で買った」
  • 日本口琴協会の回し者と化す関島さん
  • 栗原「『耳すま』の天沢聖司くんを最近少し許せるようになって、自分の人間的成長を感じた

夏の終わりにお手軽な旅情を求め、京王線に揺られて多摩方面へ。ただし行き先は高尾山でも深大寺でもなく、「マンション、ショッピングモール、以上終わり」という感じの潔い街、若葉台なんですけど。
最近では珍しい、栗コーダーカルテットのホールでのコンサート。マンダラあたりでたまにすれ違う関島ファンの方々は今回も見かけましたが、あとは圧倒的に稲城市民。親子連れも目立つ客層ということで、セットリストも「ペジエ」「マヨネーズ第2番」といった初期の佳作や定番の「帝国のマーチ」「ピタゴラスイッチ」を織り交ぜた手堅い編成。個人的にはかえって久々に聴き直す曲が多く、飽きない展開で良かったかなと。この手の公立ホールでのライヴはチケットも取りやすいですし、栗Q初心者の方にオススメです。
 

渋栗

渋栗

twitterはじめました

基本的にブコメ用ですが。
http://twitter.com/dennismoorejp
 

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

書を捨てよ、町へ出よう (角川文庫)

野に咲く花の名前は知らない

Togetter - まとめ「専門学校ゲーム科新入生が堀井雄二の名を一人も知らなかった」
ライター堀井雄二はいかにしてゲームクリエイター堀井雄二になったのか? - Culture Vulture
おっさんゲーマーであるところの編集人にとって、「ゲームクリエイター」という人種はそもそも「まっとうな学業もしくは職業からのドロップアウツ、もしくは企業の中のアウトサイダーが人生の逆転を成し遂げて就いた職業」であり、それゆえにゲーム誌の誌面を飾る彼らの姿が(編集人を含めた)スクールカーストの下位に属する、おおむね人生の逆転など信じられない少年ナードたちを魅了したのだと思う。おっさんゲーマーたちが懐かしむファミコン世代、いやさマイコン世代ゲームクリエイターの多くは、人生においてなかなかゲーム開発にたどり着いていないのだ。

堀井雄二 『ドラゴンクエスト
既に多くのブログ等で触れられているように、フリーライター出身。漫画家志望でもあった。
宮本茂 『スーパーマリオブラザーズ
工業デザイナーとして任天堂に入社したが、あまりデザインの仕事がなくポスター書きやゲーセンの飾り付けをする羽目に。横井軍平氏に誘われた『ドンキーコング』開発からゲームクリエーターへ。
襟川陽一 『信長の野望』・コーエー創業者
染料問屋の若旦那。レンタルレコード屋などの業種を経て、恵子夫人からMZ-80Kをプレゼントされたことをきっかけにゲーム開発に参入。
木屋善夫 『ドラゴンスレイヤー
自動車整備士として働くかたわら、趣味で触っていたPC-6001で『ドラスレ』を開発。通っていたパソコン店(日本ファルコム)に持ち込んで販売開始。
仁井谷正充 『ルナーボール』・コンパイル創業者
広島大理学部に7年在籍して中退後、学習塾経営・広島電鉄車掌などを経てコンパイル設立。

「ゲーム業界」というものが存在しなかった時代だから当たり前といえば当たり前なのだけれど、彼らはみな「異能の人」であった。そしてあの頃のゲームというのはそんなエイリアンである彼らが一人もしくは身の回りだけで作り上げられるものであった。
時は移り、爛熟し巨大化したゲームのほんの一部を担うために、あえてその道を進む若者たちが堀井雄二を知ったとして、何の助けになるというのだろう。若者たちのの目指す先のどこにも、おそらく堀井雄二はいない。彼らと同じ年頃の堀井雄二の目指す先に、ゲーム作りなんてなかったのと同じように。

ふちがみとふなと@吉祥寺マンダラ2

  • Tシャツで魅せる男・船戸博史、この夜の1stチョイスは「チーム青森
  • 渕上純子「バブルが弾けてない頃、バニーちゃんのいる店で歌う仕事が来た」
  • アンコールが2回かかってしまったので、都合4着もTシャツを着替えるハメになった船戸さん

「多分20周年くらい祭り」1日目。ふちふなの歴史を振り返るライヴということで、初期のライヴでかけていた曲から新曲まで幅広い曲目をチョイスした意欲的な編成。今でこそアンコールの「シロクマ大迷惑」でステージから最後列まで突撃とかやらかす渕上さんですが、「最初の頃はエフェクタ使って演奏したりしないと間が持たなかった」と語るように、スタイルを模索する時期もあったそうで。今回ライヴ序盤に持ってきた、エフェクタ全開でベースをテルミン的に使った「風に吹かれて」のカバーなんかは当時の苦労をしのばせる演奏。そして過去と現在の橋渡しとして、ふちふなお気に入りのエノケン私の青空」でシメ。ふちふなの「お金ももらってしまう誕生日祝い」(渕上)に相応しい、ハッピーな雰囲気のライヴでありました。