類似マンション
世の不動産屋は根本的に何か間違っている、あるいは市場の社会からの脱埋め込みについて | Brumaire
何故かと言うと、大家が賃貸物件を建てる理由は「更地で土地持ってると固定資産税が高いから収益物件造るわ」とか「相続税逃れで負債増やしとく必要があるからとりあえずアパート」というネガティブな理由が大半であって、間違っても「生まれ育ったこの美しい街にもっと仲間を迎え入れたい」などというポジティブな理由ではないということです*1。大家にとって賃貸物件とは「建築費x億に対し想定利回りxx%です」というカタログスペックで語られる紛れも無い「商品」であり、そこに落語の「寝床」的なストーリーの入り込む余地はほとんどありません。そして、不動産屋はあくまでその「商品」に最適化した行動としてスペック推しをしているだけです。
わたしが声を大にして言いたいのは、「家は商品ではない」ということである。それは確かに我々が生きている社会ではほかの商品と同じように金銭によって取引されるものと成り果てた。しかし立ち戻って考えてみれば、人間にとって住居が商品であろうはずがない。それは第一に共同体を支える場であって、取り替えの聞く商品ではなく、愛によって守られた交換不可能な郷土なのである。住環境は社会に埋め込まれて初めてそれとして機能するが、現在の制度は住居を住居として機能せしめないために作られているかのようだ。
戦後のマイホーム中心思想は「商品」としての戸建て住宅に消費者を魅了する物語を付加し、急造のベッドタウンにも愛あふれる「共同体」「交換不可能な郷土」を建設することに一定の成功を収めたわけですが、賃貸物件はそもそもそんな都市幻想からも断絶した存在です。
賃貸物件の多くは「農村由来のしがらみが多い共同体から離れたい地主層が建てた、いくらでも取り替えのきく商品であり、愛着も湧かないし、大家が郷土を離れるためのツールですらある」のです。特に駅に近い物件のオーナー層に見られる傾向ですが、彼らは賃貸物件から安定した収入を得ることで、商店街的でウェットな「地元の付き合い」から脱出し、往々にして気の合う仲間だけの狭いサークルに閉じこもります。そして金の使い道と言えば地元とは関係ない郊外でのゴルフ三昧であったり、都心とか海外のセカンドハウス購入だったりするわけです。そういう物語って、借りる側にとって魅力的ですかね?
だから世の不動産サイトは価格や平米数に基づいたデータベースなどとっととゴミ箱に放り込み、自らの扱っているそれぞれの物件について、オーナーのインタビューを載せ、その町に住む山田氏がその建物をどう思っているかを載せ、そしてもしいるならば、過去に住んだ人間がどのようにそこで息をして暮らしていたかを載せるべきなのだ。数字など備考欄に書いておけばよい。市場の社会への再埋め込みを図るのならば、まずはそこからだ。
借りる側から見たところで、多くの賃貸物件は取り替え不可能な存在でなどありえません。画一化されたデザイン・建築技術・備品で構成された無数の物件が、個性の特にない無数の駅前にあるのですから*2。先に住んでいた住人の物語もセクシーなコンテンツとは限りません。若者の多くは、例えば不動産屋のようなブラック企業における労働から深夜に帰宅し、部屋を睡眠以外の用途に用いることは滅多にないのですから。
戦後の下町に暮らした貧しい人々はそのコミュニティにおける心温まる物語(「三丁目の夕日」的な、ね)を残しましたが、懐が豊かになれば他の街へ去って行き、過去の物語とシャッター通りだけが残った界隈も少なくありません。
やがて来る未来、無数の空き家がどこへも行けない人々の受け皿としてスラムを形成し、我々が戦後の焼け跡より貧しい生活を送るのであれば、住居は「商品」ではなく、我々に親しい「愛によって守られた交換不可能な郷土」としての地位を取り戻すことでしょう。ただその時には、我々は不動産サイトで引越し先を探すこともないでしょうし、そもそも私のような不動産クラスタの人間は皆、業界またはこの世とおさらばしている可能性が高いですが。
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