引き続きBook Baton(その2)

昨日の続き。

3:最後に買った本(既読、未読問わず)
ポール・オースター飯野友幸訳)『壁の文字―ポール・オースター全詩集』
先日新宿のジュンク堂で購入。ほぼ未読。
オースターの詩は結構前から読もうと思いつつ果たせていなかったので。
関係ないけど飯野先生ってオーストラリアのハワード首相と似てるよね(謎)。


4:特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊(まで)
阿佐田哲也麻雀放浪記
初めて自分のお金で買った文庫本です(たしか本編じゃなくて外伝)。
時に編集人、9歳。
さすがオレ、人生を踏み外したポイントが後悔のしようもないほど昔。
つーか、買いに行った近所の本屋のオヤジさんが
どうして止めてくれなかったのか今でも謎だ
雑誌も配達してもらってたし、知らない仲でもなかったのに。
でも闘牌シーンとかそれなりにエンジョイした記憶あり。
ダメじゃん。

山田風太郎『人間臨終図巻』
ある程度の年齢になってからは「文学バカ」で通してきた編集人ですが、
むしろそれ以前は「雑学バカ」というイメージの方が自他ともに強く、
雑学サイドの自分に究極の影響を与えたのがこれかなと。
いやー、読んだ読んだ。
初めて読んだ中学生以来、全編ぶっ通しだけで5回以上読んでる。
そりゃー人の死に様はいくら読んだって面白いわけですよ。

星新一『ボッコちゃん』
で、だんだんと文学の方へシフトしていくわけですが
きっかけというのはひとつに絞りにくくて
北杜夫やら安部公房やらいろいろ挙げられるんですけど、
数を読んだのと、ついでに「SF属性」という
余計で貴重なものを付けてくれた点で
星新一は重要だったのではないかと。

●エミリー・ディキンソン(新倉俊一編訳)『ディキンスン詩集』
アメ文の泥沼への第一歩。
ディキンソンは高校のとき初めて読んで、
その後レベルを変えて何度も触れることになるのだけれど
どのレベルのときも新しい発見があったのが印象的。
また今読んだら面白いかもなあ。

レイモンド・カーヴァー村上春樹訳)『大聖堂』
そんな読書遍歴を経て、
自分の本読みとしてのキャラがある程度出来上がった後に
ショックを与えたのがカーヴァー。
「大聖堂」や「ささやかだけれど、役に立つこと」といった短編には
「人はこんなにシンプルにものを伝えられるものか」と驚いたもの。
さらにアメ文に足を突っ込み、ますます道を誤って現在に至る。

5:次にバトンを渡す人5人(まで)
仲間内ばっかで回すのもアレですが
「下町の飛び魚」のKyouさんに回しときましょう。
無論拒否上等。