神でなく、王でなく

こないだ先生が首吊りした小学校は、
「同級生の親父さんが3月まで校長だった」
という微妙に近い関係にある編集人です。こんばんは。

そんな縁も踏まえつつ、
吾妻ひでお失踪日記』読了。
吾妻ひでおと言えば、この本にも描かれている
1回目の失踪のおかげで、
書けないとか書かない(ex.江口寿史)じゃなくて
リアルに存在が消えた漫画家の代名詞となったわけですが、
本作はさらに2回目の失踪と
アル中治療期間の生活を描いた作品。

巻末のとり・みきとの対談でも言われているが、
この作品の注目すべき点は
筋としては度を越した悲惨な物語でありながら、
当人にとっても第三者にとっても辛すぎることは
沈黙やデフォルメによって巧妙に昇華され、
負の力と向き合うためのテキストとして
よく仕上がっている点にあるのではないか。

古来から「酒仙」という言葉があるように、
アルコールの川の向こう岸まで行ってしまう人が
不思議と憧れの対象となるのは、
自己を破壊しつつ生き続ける姿を見せることで
死との距離の取り方を教えてくれるからであろう。

前述の先生やポール牧の自殺についての情報を見るに、
何か教育や宗教に多くの答えを求め過ぎる人が
目立つように思えるのだけれども、
世界を正の方向へ引っ張ろうとしている人に
「後ろへの下がり方」を尋ねるのは、
果たして賢い選択と言えるだろうか。
むしろ、教えを乞うべきなのは
油断すれば我々を泥沼に引きずり込みかねない
「酒仙」たちではないかと思うのだけれど。
そういう意味で、確かに「らしい」死に方ではあったけれど
中島らも高田渡は早く死に過ぎたのかも。

 私が死のために立ち止まれなかったので
 優しくも死が私のために立ち止まってくれた
               −エミリー・ディキンソン