Duel Must Go On

ライブドアをめぐる騒動を眺めて改めて思うのは、かつては極めてエキセントリックな人種だけに許されたプロレス的な言葉とか仕掛けが一般化したというか、有効かつ理にかなったメソッドとして定着したんだなあ、ということ。前にも書いた×箱の大浦博久が吐いた「マイクロソフトの辞書に敗北の2文字はない」あたりで予感し、一昨年のアメリカ大統領選でケリーが"bring it on"(やってみやがれ)を連発し始めたところで確信したことだけれど、彼らは別に変な人なのではなく(PSのクタラギ氏より大浦氏の方が変人だという人はまずいないだろうし、ましてやケリーがブッシュより変人なわけがない)、追い込まれて苦し紛れのことを言っていたのでもなく、しっかりした計算の上でああいう言葉にたどり着いたであろうことはその後のホリエモンや小泉が証明している通り。ローマの昔から生き残っている娯楽が劇場と闘技であることを考えれば、実はプロレス的なアプローチは野蛮でも前時代的でもなく、ハックでクールなんですな。だから、ホリエモン的な熱狂を不健康なもの(切込隊長がオウムと比較してましたが)とストレートに切って捨てるには、若干のためらいを感じるところ。もっと長い歴史のスパンで見て、「どこもかしこもローマ的な爛熟ばかりだ!てめーらまとめてゲルマン民族大移動で滅びろ!」という声であれば耳を傾ける必要はあるかと思いますが。