テサロニケ人への手紙

何だか申し訳ないことに
世に倦む日日」のthessalonike氏が
当方が打ったTBを削除の上、
ブログと総選挙(その2)に対するアンサーらしきエントリ
書いてくださったので、一応コメント。
編集人としてはあくまで今回の総選挙とブログの関連を
現象として論じたものであって、
例として取り上げた「世に倦む日日」および「心の闇」の
両ブログの価値を批判したり賛美したりする意図は
ありませんので、その点はあしからず。

「批判TBを削除することはブログをハブに止める」
という当方の主張に対し、
thessalonike氏はTBに対する考え方を
以下の引用のように論じられています。

TB記事には掲載において内容の取捨選択をする。正義と真実をよく伝え訴える記事のみをトラックバック欄に揃える。新聞社の「読者の声」と同じだ。それは新聞社の主張の一部なのである。届いたものをそのまま並べはしない。
当方もTBの削除を一般に否定するものではありません。
TBスパムやTB欄つぶしの連続TBに関しては
thessalonike氏が仰られるとおり、ブロガーの責任として
それを管理する必要があります。

しかし、ブログにとって
TBを純粋なものとして保つことは
責任でもなければ必ずしも益とならないというのが
当方の考えです。

TBにより、ブログは連携していきます。
その中で多くのTBを集めるブログは
ブログ集団のハブとなっていきます。
そのこと自体はごく自然なことであり
ブログという形式の理想にかなう「善きこと」です。
当方はこれを否定するものではありません。

当方が問題とするのは、
「ブログはハブに止まるものではない」という点です。
エントリにおいて「世に倦む日日」に対するものとして
ブログ「心の闇」を取り上げましたが、
かのブログには賛意とともに批判も寄せられ、
その衝突の中に新たなアクセスやTBによる
広がりを生んでいます。
当方が「心の闇」を「アンプリファー」と表現したのは
そうしたブログとしてのあり方からです。

TBはWINWINのコラボレーションであり、同時に人と人の出会いである。そこからスパイラルが広がる。これほどスリリングでロマンティックなものはない。ブログとはTBだ。
TBを通じてブログが成長することは「善きこと」です。
しかし、TBを「善き人々」のためのものとすることは
ブログからスリルとロマンを値引きします。
賛意と批判の両者が、ブログを拡大させる力となります。
ブログとはハブ以上のものであり、
アンプリファー以上のものになりえます。