Return to Normalcy

「平常性への復帰(Return to Normalcy)」というのは、「アメリカ史上最悪の大統領」の称号を*1今のところ保持しているウォレン・ガマリエル・ハーディング1920年の大統領選で掲げたスローガンで、"normalcy"という単語は彼が作った言葉だ。1920年アメリカというと禁酒法が施行された年で、前の大統領のウッドロウ・ウィルソンに象徴される理想を追いかける政治に国民が疲れ始めた時期。第一次大戦が終わったこともあり、改革と戦争という2つの熱狂から醒めたアメリカ国民は「平常性への復帰」を求めてハーディングを選択したのだが、政権内部で汚職が連発した上、その始末もできずにハーディング自身が在職2年余りで死去してしまうという散々な結果に終わる。
それゆえ"normalcy"というのは普通ろくな印象を持たれない単語であるわけだが、編集人はジョン・アシュベリーの"Qualm"という詩でこの言葉を知って以来この言葉のぬるい感じが結構好きで、何かしらのフィーバーがあるにつけこの言葉を思い出す。
今年は小泉やらのまネコやらでその機会が実に多かったが、特にその思いを強くしたのはディープインパクトにまつわる動きについてだった。もちろんマスコミの無駄なレッテル貼りに辟易した経験はこれが最初ではないにせよ、JRAやファンを巻き込んでの「ディープインパクトの強さを証明しなくてはならない」という圧力の強さは例のない規模だったと言っていいと思う。何だか皆で如何にして「負ける文脈」を使わないかのチキンレースをやっている趣すらあった。
このエントリは今日ディープインパクトが勝っても負けてもポストする予定だったのだけれど、あの結果を受けて「平常性」という言葉を使うと何となくホッとする。そう、我々の帰るべき場所は「平常」にだってある。問題はその帰り方なのだ。

*1:鶴見俊輔ですら「ハーディングが最悪だからブッシュは2番目」と言っていた。まあニクソンあたりを超えて「再選された中で最悪」は有力か。ちなみに引用したWikipediaの記事によると最近ハーディングを弁護する研究者もいるということで、もしかすると小ブッシュ最悪襲名への布石?